一人で起業した私は不安でいっぱいでしたので、夢を共有する仲間と、相談できる相手がいることがこんなにも心強いかと感じました。
しかし仲間が増えることによって悩みも抱えることをこの時点では知る由もありませんでした。
起業した場所というのは経営者にとっては思い出深い所となりますが、それ以外に経営哲学や理念の元にもなっているような気もします。
マックの愛称で有名なパソコンメーカーのアップルコンピュータはガレージからスタートして世界の企業になりました。ガレージからスタートしたことにこの会社も意味があったのではないかと思います。パソコンがコンピュータ業界で正式に認知されたのはアップルのパソコンです。アップルのパソコンが世にでる前にはCBMとかコモドールとかのパソコンがありました。この頃は、まだパソコンという呼び方でなく日本ではマイコンとかパーコンとか言っていたような時代です。ディスクがありませんからオペレーティングシステムありません。プログラム言語はBASICです。BASICで作成したプログラムをカセットテープ(オーディオと同じもの)にとるというものでした。
それにくらべアップルのパソコンはデジタルリサーチが開発したCPMというオペレーティングシステムが搭載できるという本格的なパソコンです。そのパソコンは2〜3年でアメリカの市場を獲得しました。
その動向を無視できなくなった、コンピュータ業界の巨人IBMがパソコンの開発に動きました。「アップルの勢いは、これまで通り数年かけて開発していたのでは止められない。今直ぐに世に出さなければいけない!」そう考えたIBMは基本設計(コンセプト)を自社で開発し、ハード・ソフトをすべてアウトソースすることにしました。その時の発表ではオペレーティングシステムはマイクロソフトとデジタルリサーチどちらでも搭載できることになっていました。しかしCPM搭載のパソコンは販売されずマイクロソフトのDOS搭載のパソコンだけだったような気がします。(アメリカでは一部販売されたのかもしれません)
このIBMのパソコンは設計書を公開していましたので、互換機メーカーが出現しあっという間にアップルが消えIBMのパソコンがアメリカの市場を席捲しました。
苦境に陥ったアップルは、ここでガレージ企業の強みを発揮します。当初から温めていたのでしょうが、スチーブ・ジョブスがパロアトルのゼロックスで開発していた視覚的に使えるオペレーティングシステムの開発に全力を注ぎました。視覚的とは今ではあたりまえになっているウィンドウやアイコンのことです。ウィンドウ、アイコン、クリック、マウスなどの言葉はゼロックスがスターという製品を開発した時に付けた名前です。このオペレーティングシステムを搭載したパソコンは「アップルリサ」という名前で販売されました。
数年前にシリコンバレーを訪れた時、ガレージで2・3年後には世界で活躍できることを夢みて頑張っている会社を見学してきました。そこは、まるで本で読んだあの若かりし頃の、スチーブ・ジョブスがパソコンに大きな夢をかけて仕事をしていた様子が思い浮かんでくる情景でした。
ICSはガレージではありませんでしたが、シリコンバレーで観たガレージよりも狭い6uからスタートしました。そこは第1回でご紹介しました池田石材工務店の事務所の一角です。
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